四境の役

山口県との県境を流れる小瀬川の山口県側のほとりに長州征伐の石碑が立っています。
以前から気にはなっていたものの、車を止めてまでは見ませんでしたが、チョイと止めて見てみました。
2万の幕府軍と5千の長州軍
どう見ても不利な長州軍でしたが、坂本竜馬らによる最新式の銃や、時代遅れの甲冑を着た幕府軍に対して動きやすい軽装な長州軍は幕府軍を敗走させたと記録に残っています。
旧態然たる幕府軍。260年にも及ぶ徳川幕府時代、さらに言えば、鎌倉幕府から680年にも及ぶ武家政治の終わりを象徴する戦いではなかったかと思えてきます。
彦根藩の藩士、竹原七郎平が朝廷よりの降伏勧告書を渡そうと小瀬川に入り、川の中ほどで長州軍の精度の高いエミール銃で撃たれ、それがきっかけで一斉に長州側の砲撃が始まったと記されています。
まあ、竹原さんには申し訳ありませんが、全くの時代錯誤な行為だったんですね。
なるほど、まさに近代へのドアが開き始めた戦いだったんですね。
時代の動きを察知しなければ、竹原さんみたいになってしまうと肝に銘じましょう。
01cd131804d5b04e8e17d0cd112d6cab060e6f476801d0752dda56eb131e00a8747ea702c203ebe1d8df

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする