風化

今週の水曜日、8月6日は広島の原爆記念日でした。
私の、叔母・いとこも原爆で亡くなっており、祖父は30Km以上離れた大竹の地から、消息を探しに自転車で広島まで行った話を、子供の頃祖父から聞いた事を思い出します。
中学生の頃の音楽の時間では、「原爆許すまじ」と言う歌を歌わされたり、8月6日には大竹でも記念式典が行われたりと、8月6日が近づくと原爆記念日を意識せずにはいられない状況だったように思います。
成人になり、その様な行事とは縁がなくなり、8月6日の記念式典をテレビで見る時と、墓参りの時に叔母やいとこの墓前で手を合わす時に思い出す程度となっており、
しかも、今年は、原爆記念日に黙祷のサイレンも鳴らされず、確実に風化してきた事を痛感しました。
その日のテレビでは、福田首相と舛添厚生大臣が被爆者団体と被爆認定の話し合いをしている報道がありましたが、いかにも儀礼的で、形だけの対応に見えて仕方ありませんでした。
このようにいかに悲惨な出来事でも、年々当事者は減り、人々の思いの「風化」が進むと、また愚かな人類は同じような過ちを繰り返すのでしょうか?

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コメント

  1. ラージグリーンマン より:

    今しがた「北京オリンピック」の開会式が終わり(途中・・寝ていましたが・・・)、アナウンサーが「民族・宗教・誠治・言葉など・・乗り越えて、、、。結果よりも過程を大事にして・・・。」などのコメント。
     そうだな~・・。って感じて終わり、ニュース番組が始まると「オリンピック開催」の次には「ロシアが隣国の州のロシア編入の内紛へ派兵・・。民間人・軍人合わせ数十人がすでに犠牲に。」
     舞台や場面が変われば人間って身勝手に行動しているし、地球規模の地域格差・・・無くなせるの?・・・と思いました。(・・・すいません。原爆の話と次元が違ってました。)

  2. 河野 より:

    確かに、オリンピックのこの時期に、ロシアがグルジアに軍事介入したニュースを見て、相変わらず世界のあちこちで紛争が続いている事に憂鬱な気分になります。
    ほんと人間って愚かな生き物ですな!