本来の葬儀

先日私の友人の父上が亡くなられ、通夜に行ってきました。
その葬儀の祭司が私の義兄。つまり、義兄の寺の門徒さんで、しかも亡くなられた父上は門徒総代を勤めておられた方でした。
通夜式では、お経が始まる前に経本が希望者に配られ、祭司に合わせて浄土真宗の「正信偈」を参加した沢山の方がお経を読み、普段の静かな葬儀とは違って賑やかな葬儀となり、しかも、普段の葬儀ではお焼香に併せてお経が終わるのですが、焼香が終わっても最後まで声を合わせて読み通したので、時間のかかる葬儀となりました。
昨夜、友人と飲みの席で、葬儀に参加した感想が、「自分も一緒にお経を読みたかった」とか、「葬儀での法話でご文章の拝読について話をしてくれたので、これまでの疑問が一つ解けた」等々話をしてくれて、一同「本来の葬儀とはかくあるべし」と話をした次第。
身内を褒められた事も嬉しかったですが、葬式仏教に成り下がっている事を甘受しているお寺さんは、このままでは益々寺離れが進む事は間違いないでしょう。
お寺の話が出ると言う事は、我々もそんな年齢になったって事なんですね!

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする