父が喉を詰まらせて以来入院生活をして早1年3か月
入院後、口からの飲食が難しいので「胃ろう」の処置をしたのですが、逆流して肺炎を度々起こしてしまうので、中心静脈による点滴での栄養摂取をしています。
つまり、口からものを食べることなく、消化器も殆ど使わずに1年以上頑張っています
入院した頃からも既に話すことも難しくなっている状態でしたので、自ら「苦しい」とか「喉が渇いた」とかを言うこともできずに、話しかけることに対して、状態の良い時はうなずいてくれている状況です。
でも、そんな僅かな動作ににも母や身内は一喜一憂
そんな父を毎日見ていると、現在の医療のお蔭で父は生かされているのだと思うとと共に、そんな生かされている状態で父は精一杯自らの生を頑張っている
翻って、自分を見てみれば、父の命を繋いでいる点滴や酸素を送るチューブの代わりに、多くの人との縁が私に繋がって生かされていることに気付きます
話もできず、苦しいとも、喉が渇いたとも言えない状態で生を頑張っている父は、きっと私に対して自分の姿を見せることで、「思うことが話せ、どこへでも行くことができるお前は、生かされている今をもっと力一杯頑張ってみろ」と言ってくれているように思います。
あとどれぐらい父が頑張ってくれるかは分かりませんが、その父の姿をしっかりと目に焼き付け、「生かされている」自らのこれからの人生を力一杯生きて行きたいと思います。
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